1994年2月23日にアメリカ合衆国ハワイ州ホノルルで発生した占い師の藤田小女姫殺害事件の容疑者として逮捕された、福迫雷太さん。
福迫雷太容疑者は、これまでどんな生い立ちで、どんな経歴だったのか。
そして最後まで容疑を否認していましたが、なぜ犯人とされてしまったのか、詳しく調査していきます。
福迫雷太の生い立ちや経歴を調査!
福迫容疑者の写真。
上は逮捕直後の福迫容疑者、下は拘留中の福迫氏。
彼の経歴や生い立ちを詳しく見ていきます。
高学歴な経歴
1965年か1966年頃、関東地方で生まれた
幼少期から優秀な成績を収め、名門校である開成中学に進学
中学を中退し、アメリカへ留学
カリフォルニア州立大学に進学
もともと頭がよく、高学歴な道を歩んでいっていたようです。
カルフォルニア州立大学は、US News誌の大学ランキングでは西部地域の公立大学12位にランクインしています。
簡単には入れない大学です。
福迫容疑者は、語学も堪能だったのかもしれませんね。
黒い噂
大学在学中に、日本人留学生グループとビジネスを開始するが、それが合法ではないものだった
防弾車の部品に拳銃を隠して密輸を行うなど、違法な活動に手を染めていったようです。
この活動を通じて、福迫は日本の暴力団関係者との繋がりを持つようになります。
さらに、在日北朝鮮系の金融業者「K」との接触もあり、裏社会との関係を深めていきました。
服役中は模範囚として生活。
全身がんを発症し治療しながら服役生活を送ります。
2024年10月14日に同房の38歳の受刑者により刺殺されて、59歳で亡くなりました。
福迫雷太の現在
1994年3月30日に藤田小女姫親子殺害事件で起訴され、1995年の終身刑が確定。
服役中は模範囚として生活していましたが、全身がんを発症し治療しながら服役をしていた。
2024年11月放送の番組内でテレ朝の取材に答え、これまでの真実を語っていました。
2024年10月14日に同房の受刑者により刺殺されて、59歳で亡くなりました。
福迫雷太がなぜ犯人とされてしまったのか真相が壮絶だった!
検察側は福迫が犯人である理由を以下のように述べてました。
・福迫は家賃を3ヶ月滞納、金に困っていた。
・雷太は吾郎から借金をしていた
※吾郎は藤田小女姫の息子で、福迫とダイビング仲間。
・隣人が藤田小女姫のコンドミニアムから福迫らしき人物が事件当日に出入りしているのを目撃。
・雷太は藤田小女姫のクレジットカードを勝手に使用し、小女姫に注意されていた。
数々の情報があり福迫容疑者が犯人なのではという情報が多方面から聞かれました。
ですが、福迫容疑者は、無実を訴えていて
「真犯人は別に存在し、家族の安全を守るために何も話せない」
と述べていました。
闇のある事件、一体だれが犯人なのか…
福迫雷太が犯人でない真相が明らかに!?
福迫雷太容疑者は、2024年の獄中で取材を受けていてそこで真相を語っていました。
●事件の前、周りの人から恐喝を受けて多額の金銭を要求されていたという藤田小女姫さんから、生命保険を担保にして借金をできないかと相談を受けていた
●金融業を営んでいた在日北朝鮮人の「K」という人物を藤田小女姫さんに紹介し、Kから200万ドルを借りたとのこと。
●200万ドルが実は北朝鮮で作られた偽札であり、その年の夏以降までは絶対に使用しないでとKから藤田小女姫さんに忠告があった
●息子の吾郎によってその約束が破られて、この偽札が夏前に使われてしまった
●福迫雷太容疑者はKからこの偽札の回収を命じられ、何人かで回収にいった
●回収先で揉め事が起こり金のありかを聞き出すために、福迫雷太容疑者の自宅に軟禁するも、何らかの事情により軟禁していた人物が死亡。
これが藤田小女姫殺害事件の2日前の2月21日の出来事だったそうです。
●福迫雷太容疑者は遺体を運び出すように命じられ、遺体をシーツに包み台車に乗せて遺体を外へ運び出したそう。
福迫容疑者曰く、Kに借りたお金の代わりに藤田小女姫がブラックノートを担保として渡したと言われていて、それをめぐってこの事件につながったのではと言っていました。
こちらのノートに関してこちらに詳しく書いてありますのでご覧ください
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